ホラー合同「無明」の感想
本の情報
上海アリス幻樂団作品群×ホラー小説アンソロジー『無明』
新書判/本文376頁/表紙空押し/三方黒染め/三方背箱/箱帯
頒布価格:5,000円
10/04(日)東京都
第十三回 秋季例大祭[せ-56ab]初頒布
10/11(日)大阪府
東方紅楼夢 第22回[K-07ab]
装画:あすぜむ
企画・編集・発行:ネモ(常行丼)
感想(掲載順・敬称略)
Pluviophile/鈴羅木れう
妖怪側から見たホラー、という変化球が一発目から来た。
最初の大段落の「ビクビクと身体を震わせるだけなのだ!」の〆、まず最初に主観者の感情吐露でガツンとくる導入段落好きなんですよね。
ホラー的な文だとこれが非常に映える印象があり、また二回目を読むときに効果が出やすい感じがします。
小傘の「体が2つ?ある」「オッドアイ」という設定がよく生かされていて、キャラを第一とする二次創作として非常に好ましいと感じました。
【共有フォルダ】/卯月秋千
物語の入れ子構造、不変の王道ですよね。好き。やりたい。
映像っていうのがそもそも不思議なもので、自分の存在を自分が客観してしかも時間軸を超越できる。
共有フォルダという存在が、映像の不思議な客観性を更に強化していて良いですね。物語の構成だけれあれば、映像ファイルが送りつけられてくるだとか、どこかに落ちていたとかでも済むのですが、これが共有フォルダに置かれているというのがとても良い。
余談ですが、時間軸のある記録をもう一度閲覧する機能を使用することの日本語の訳が「再生」なのってマジで秀逸だと思っています。
少女が見た水騒動の顛末/驢生二文鎮
ホラーだけどミステリーで、ある意味でスッキリと読める、こういう作品があってよかった。
というのも、ホラーというのは今日日非常に多義的であり、それを満たすべき要素に触れていればなんであってもホラーと呼んでもいいというくらい懐の広いジャンルだと思っていて(というかこの合同に参加してから改めて思い至りました)、それを体現してくれた。
ホラーは怖がらせなければいけない、ということはまったくなくて、それはタグの一つでしか無いのだという点で「そう、これ、こういうの!」となりました。
いい?ホラー小説読んだ人間が言って許されない感想、言っていい?
椿さん可愛すぎない?
狸の万華鏡/海沢海綿
直接話法としての「」が登場しない特徴的な文体で古風だけれど、映像が、これはあれだ。「露悪的な方のモノノ怪」。
繰り返されるフレーズのたびに、千代紙で描かれた背景が浮かびます。モノノ怪、あるいはシャフトアニメっぽい映像。
映像がそのような千代紙彩色と回転で見えるのは冒頭の宣言の影響で、書き手の導入の巧さによるものでした。
ヤマメって「本当はかなり邪悪なモチーフなのに、ゲームに登場するときには卑小化されている」の良い例だと思うんですよね。
その卑小化されなかったときの姿、ってのはまあ各キャラそれぞれあると思うんですが、ギャップがとてもいい。ルーミアとかもそうで。
それが真正面から書いてあってある意味で胸がすく感じでした。そういうの好きなんですよ。みんな好きでしょ?
ノー・チョイス/早田ハム
正針って実はあんまり通ってきてないカプなんですが、こう言うとなんですが、正邪の可愛さが際立った話でした。
私「この正邪、ずいぶん物わかりがいいな…? …はッ…!」
針妙丸が二人いるように見えて、実際には正邪が反転して二人いるのではないか? と思わせられる、足場がひっくり返ったような認識の焦点の合わない不安さがありました。
異生羝妖心/葵植夫
うおお、これ好き。
特に悲劇も喜劇も起こらないけれど、主人公が「見てはいけないものを見てしまったのかもしれない…?」となるけど結局日常に戻って、日々の生活にトゲだけが残る、これ。
マイナス思考で呪わしい慧音の方が、聡明で本物のように描写されている。熱血教師っぽい慧音が書いてあるのは月イチ夜の姿を強調するためのものだったか、ニクい。
〝教育〟、時にはそういうものも必要ですよね。
いやあハクタクの姿の慧音の姿、エロい。。脇腹の目が動いてるときの映像なんか想像してドキドキしてしまった。それが、ひんやりとした机に体をくっつけて裸体で横たわってるなんて、えっちすぎる。体をひねる動作なんか、ねっとりとしているのにどこか無邪気に誘う猫の動作なんかを想像してしまって。
この描写は、阿求でなくても、ケモナーでなくても、興奮してしまいますね。
ホラーには少しのエロが混じってると、すごくいいと思うんですよ。
山に行く/東ノ目
構造的には「共有フォルダ」と似ているが、ホラーとしての描写の方向性が異なる。
二次創作としてどちらが有効かはおいておくとして、主観者がネームレスな方が個人的にはホラー感が出ることもあると思っていて、その代表例はこうした「主観者が怪異の被害当事者にすり替わる系」だと思っています。
勿論ネームドキャラがそうなることでキャラのギャップや設定につなげていくのも好きですが、おっ怖、となるのは主観者に名前がなく空白故に自分をそこに投影する余地がある方、なのかもしれません。
最後のシーンで、謎に絡め取られた主人公が晴れやかに怪異の主体となることを選択する、この瞬間を見るためにあるタイプの作品でとても好き。これだよこれーってなりました。
離世摩羅/ぐい井戸・御簾田
モキュメンタリーもので、出来事自体がホラーという仕立てだが、本当のホラー部分はこれを「リセマラ」としている点だと思っています。
この出来事を人世の常識で片付けるなら、由緒正しき駆け落ちか心中と片付けられるでしょうが、これを現代のゲーム用語に落とし込むことで、カジュアルな行為に置換されたという風刺的な怖さです。
しかも、これが幻想郷に入ったあとで普通のこども(common)から、レジェンド級の従者(同じくLかSSR)になることを望んでのことであれば、リセットのかなわない命一つでは分が悪すぎる。それでもリセマラに駆り立てたのは虐待だったのかもしれないが、ゲーム感覚でリセットしようとする生命への軽視があるとすると、彼女たちの思考を想像するに恐怖があります。
橋/夢魂
メリーがあやしき片鱗を見せる、オーソドックスな話かと思わせて、最後に「そっちのがこええよ!」というオチ。
しかもそこに至るまでに秘封らしいお約束がたくさん散りばめられており、二次創作としての強度も高めてあってとても良い。
多くを語らない短さだがそれに見合わぬ密度と、赤いソレを振り返ったときの恐怖を共有できて「こういうのだよ、こういうの」という満足がありました。
Oculomotor nerve/銅折葉
世に、内容の詳細を問わないホラーというのが確かにあると思います。
恐怖心をくすぐり・くすぐられるのを楽しむのがホラーなのであって、ストーリーなど別にいらない。なぜ怖い/不気味なのかの理由の説明も不要。純粋にホラーのホラーたるあり方を取り残した一つの形に、この作品はなっていると思います。
前衛的な映像作品、個人的な体験から言うと「恐怖心展」で見た映像とか、ホラー系のショート動画とかの、ああした「怖さを純化した映像」のイメージでした。
それが、一次創作であれば切り捨て閉ざされたままになってしまう背景への広がりの糸口も、二次創作ゆえに明確に持っている。といっても「メリー」という人名は登場しない、それがまたよいですね。
ストーリーらしきものを描くでもなくただ恐怖のカンバスに色を重ねていくための、病院内をうろつく描写の濃醇な不安感。
実際のところ「ストーリーが進んでいるように思えない」とみせつつ「飽きさせもしない」というのは、恐怖心や不安感を煽るのには非常に有効なのだろうと気付かされました。飽きさせない巧さが必要なので簡単な話ではないですが。
確かな筆力と構成力がなければ書けない作品だと思いました。
憂き世/一般ぱーぷる
世にも奇妙な物語/笑ゥせぇるすまん系の話。
希望を欲しがっていた意志や肉体を失って、希望を求めた自分が希望そのものにされてしまう皮肉。
世の中に失望している、自分にも失望している、でもその必要姓は誰よりも感じていて、他人から奪うことも厭わなくなっている。という現代あるいは自分自身の投影を見た気がして、単なる皮肉は恐怖として流れ込んできました。
「眼の前にそれがある、欲しい」という欲望が希望であるという瞬間のスイッチが「そう、そうなんだよ。でも罰せられるのだよなこの感情は」と感じられ、最後に終わらせてもらえてよかった。
と、ここまで書いておいてなんですが、実は冒頭の、空行が多めの筆致のところが非常に印象的です。
ここまで、紙面を画像的な演出にした作品が出てきていないので「おっ!きた!」という感じで嬉しくなりました。
見えている/星原渚
怖い方の星新一の話を見ている感じでした。
この作品のタイトルに「渦」とつけないのは、秘封の二人の「目」のことを考えると二次創作的にとても示唆に富んでいてよいと思いました。
物事を正しく認識できなくなる系の話って…いいですよね…怖くて、でもどことなく惹きつけてくる甘さのようなものがあって。
しかしこの作品のメリーいいですね。積極的に陥れるわけでもなく、全く関与しないわけでもなく、「全てを受け入れる観察者」としての誘惑も持っていて。
氷を噛み砕いたり、大丈夫と囁いたりする、控えめでありながら違和感のある描写でその妖しさを描いているところに、作者の洗練された巧さも感じました。
祈りは鎌の形をしている/シグナス
各所の画面描写こそホラーではあるものの、早苗がかっこいいお話。
「どうせ現世でなにか痛々しいことやらかして幻想郷に来たんでしょ」と揶揄されがちな彼女がこうして書かれていると、胸がすくものがあります。
私は民俗学などに詳しいわけではないのでエピソードの元ネタを拾うことはかなわないのですが、鎌原で調べると、浅間山の火砕流から村を守った的な話が出てきて、錦上京あたりの原作を拡張して二次創作話を作るのにはとても美味しそうな物がザクザク出てきた。これはいいものを教えてもらいました。
諏訪に限らず世界に目を向けても蛇と鎌は結びつけられがちで、体内に蛇がいて口から出てくるというモチーフも割と見かけます。しかしそうした場合蛇は悪や邪気の象徴として書かれており、人々の願い事の向う側にある副産物として書かれていることはあまりない印象があります。
それを、スイーツ☆などと言われていた(いつだ?それはたいそう昔の話だ)早苗が、酸いも甘いも知ったように受け入れているのはとてもかっこいいですね。
信仰心を集めるという始原の設定のせいか、諏訪周りは「祈り」というモチーフがよくバンドルされている印象があります。二次創作としての王道を行きつつ、地域の奇祭にいく、ミステリアスで魅力的な登場人物、怪奇に巻き込まれる、受け入れてすでに日常、という気持ちの良い話でありました。
モノクローム・モーメント/ひょうすべ
壮大なSF作品でした。ホラー、をどこに当てはめればよいか迷う「物語」でしたが、強いて言うのなら膨大なコストを強いられながらその支払を止めることもできないシステムが立ち上がっているという点に強くそれを感じました。
ゴーイングコンサーンではないですが、清算が「許されず」に存続を前提に社会を評価し継続努力するシステムというのは、しかし個人的には望ましい「永遠の姿」だと考えています。
東方界隈で不老不死を語ろうとするに、東方老人たちは蓬莱人ペアを語る事になり、彼女たちはすでに「労なく不老不死を継続」しており「それゆえに」「やめたがっている」という二次設定を付与されがちです。
でも私は極めて個人的な見解として、この作品の中にもあった「不老不死」と「不変」は異なる、継続にはそれなりの努力(つまり退屈ではない時空)が付随している、「世界に飽きるには永久は短すぎる」、という持論のもとに永遠亭を好いています。
現にこの世界に終わりを迎えないために、綿月姉妹は到底退屈とは思えぬ冒険の日々を重ねているように見えました。それをしてもなお世界に死神が来るのなら、それはそれで面白い、そういう点で楽しいSFとして読んでいました。…ホラーは?
私は、永遠に続く命や世界の終わりが来る、ということにすでにホラーを感じていないのかもしれません。それ自体がホラーだった。
それにしても黒糖と白檀のカプ最高じゃないです?
もう声しか聞こえない/風兎
この方は絶対リアル世界に「生存」してるネタを題材にしてくるだろうと思っていたら、ビンゴでした。
だと言うのに、だというのに。「胡乱な生首」というのを「この社って将門みたいな生首が飛ぶエピソードとかあったっけ?」と調べてしまった自分が悔しい、ゆっくりしそこねてしまった。
「幻想郷に軍隊が出来るとしたら、この世界が平和になったときでしょう」みたいな話があったようななかったような記憶がありますが、つまりそういうことなのでしょう。
都市伝説的な観点でホラー舞台を描きつつ、本当に怖いのは世界システムがもたらす「忘却」「存在の抹消」が、「歴史」よりも上位に機能する(時点を条件に発生するのに、痕跡には時間軸がない)という点でしょうか。慧音が抗えないというのがなんとも怖い描写で、キャラセレの妙ですね。
宇宙の消滅までには宇宙の内部としては時間があるというのに、宇宙消滅後の「そこ」には時間の概念が存在しないだろう、みたいなところと通じていて壮大なコズミックホラーです。
一方で、キャラクターの言動や描写は現代の軽妙な文体で純朴にかかれておりその落差が一層にその恐怖を引き立てていました。
寝■、細■、■肯、■魁/はどろん
ルーミアが可愛い作品。人妖間の食われ願望百合(そこじゃねえ)。
「食べないなら何で殺すんだろうね」という言葉や、理由はよくわからなかったけどお腹が空いていたから食った口で「幽霊は話が通じない」とも言っているルーミアの幼気な残酷さがとてもよい。
筋道立てて人死の推理をしている消防団員堺さんが、「話のわからない」幽霊に筋道すっ飛ばして殺され、その幽霊を「話がわからないやつ」といっているルーミアはルーミアで「なんかしらんけど口に■筋があたったし腹が減ってたので食った」みたいなことを言っているので、幻想郷は恐ろしいところだなあと思いました。
常陸地方のある場所について/みこう悠長
後述「自作について」に譲る
七夕坂に朝は来ない/人比良
文章を読んでいて、なんだか懐かしい感じを受けました。なんだろう、昔「東方夜伽話」というサイトでSSを投稿していた頃、(夜伽という場所にかかわらず)こういう匂いの文章があった記憶があります。私がまさしくその時代に生きていたからそういう風に捉えてしまうだけだとは思いますが。なんだか妙な感傷がありました。
それはともかくとして。
タイトルから七夕坂夢幻能の異聞ということは読めて、その入れ替わりなのか交錯なのか彷徨なのかが解決されていない世界線、という話と思います。
メリーを縛り付けんとするリボンに並々ならぬ感情がこもっていて(ああ緊縛っていいですよね)、もしかすると「あの二人はさほど求め合わなかったから」七夕坂で再会できたのかな、強く強く惹かれるあるいは片方からの強烈な欲求があったらその力に反発する形で再会はならなかったのかな、という残酷さを嗅ぎ取ってしまいました。
ところで全く関係のない話なのですが、昔読んだ同人誌「紫vs藍/茶戸(徒歩二分)」にて、能力を操れるように成長した紫を見た藍が驚愕するシーンで「裂け目に装飾を施せるくらいに」とその力の強大さを形容しているシーンがすごく好きで、この作品を読みながらそれを思い出していました。
でもこの話では「リボンで飾り付けている」のは蓮子の方で、それ故に蓮子の情念の大きさを感じられて「うん、うん、いいぞ」となっていました。
個人的に、蓮子はメリーのことを、メリーはメリーで蓮子のことを、お互いにバケモノだと思っているのが好きなので、妙に勘ぐって読んでしまいそれが楽しかったです。
東の子どもが夜行くところ/よみせん
主人公が余り同情の余地がない感じに書いてありしかも因果応報を受けてしまうという話は、訓話的な物語を除いたエンタメ領域としては実はあまり多くないと思っています。私がそんなに読書をしない人間だからと言うだけかもしれませんが。書くのに勇気がいるんじゃないかなあ。
前にそんなかんじのを読んだのは何だったかな「ボダ子/赤松利市」かな。あと「その鳥の名前を知らない/沼田まほかる」とか。
どちらもこの作品は全く関係はないし類似してるとは言い難いのだけれど、主人公に同調できないゆえに同情する話という体験の上で、残った印象がこの辺と同じでした。
おそらくは全く移入はできないのだけど、最後の最後に欠片のように自分では拒否できないものが提示されその呆然としたさまを解決できぬままに読書体験が終わってしまうから、だと思っています。
陽キャ組で倫理観の少し薄い蓮子を、憧れの対象・合流できないヒーローとして、主人公と対照的に書いてあり、しかし結局主人公は蓮子から(結果的に)突き放されたまま終りを迎える。
主人公はまるで献身のように幻想郷へのルートのヒントを残すが、読み手としては「ああ、きっと彼の死の有無なんか関係なく、蓮子は世界の秘密を解き明かす活動に邁進するだろう」という予想ができて、虚無感に放り込まれたままこの話は終わります。その無力感と言うか空洞に、「おいて行かないでくれ!」という恐怖を感じてしまった。
ホラー、何がホラーだったのかと言うとストーリーと言うよりもそうして見せつけられてしまった人の心の闇(登場人物ではなく自分の側の)という印象です。
あと徹底した管理社会こえー…。
蓮子って高校生以前ってグレ系ではなくて倫理観の無い系の不良だったらいいなと思います。猫とか殺しててほしい。
作品の感想以外
/表紙空押し/三方黒染め/三方背箱/箱帯、と欲張りセットで、コンポーネントとして非常にかっこいい。
この人数の小説合同誌となると、もう一回り大きいよくある合同誌のサイズ(B6)になりそうなものだが、新書(A6)サイズ。
このサイズ感が、まっ黒尽くめのデザインと非常にマッチしている。
ケースがちょっと小さくて取り出しにくいが、まあそれは御愛嬌。
見ると、本、箱、帯で全部印刷会社が違う。こだわった結果なのだろうなと思うと感心してしまいました。
参加経緯
2026/07/14に同人誌即売会イベント「七夕坂夢幻能オンリー 常陸幻想巡遊」の会場で、東方✕海外おとぎ話合同「幻想少女のメルヒェン集」に誘っていただいた主催ネモさんから、直接お声がけいただいた。
合同誌に、直接主催からお誘いいただく(参加表明したのではなく)ことは滅多に無いことなので、二つ返事で参加した。
自作について
ホラーを意図してSSを書いたのは初めてで(書き始めたら最終的にホラーになったことはよくある。直近ではこの本にも参加している星原渚さんの東方SF合同「夢現理論の臨界点」で書いたものが最終的にホラーになった)、実際に書き始めてみると…死ぬほど難産でした。
そもそもホラーってなんだよ、ってところから始まり、結局着地したのはなんのひねりもない怪談系で、元ネタがある話。
わかりやすく元ネタがあるのはまあいつものことなのだが、SF合同よりも平易になってしまって、もう少しなんとかできなかったのかと反省のほうが大きいです。
しかもどうにも話がまとまらず、書き終わったものは文量が肥大化しており、この本に掲載していただいたのは書き上がったものを半分くらいまで削ったものです。とにかく話のまとまりが悪かった。書いていても全然話はまとまらないしうまく行かずに泣きそうでした。今回に限っては内容云々より「ちゃんと原稿を提出できてよかった」という安堵の感覚のほうが大きいです…。
自作の元ネタは言わずもがなで、「近畿地方のある場所について/背筋」と「サナエさん/凋叶棕」です。
元ネタ「近畿地方のある場所について/背筋」で想像できる通り、この作品はモキュメンタリーとして取っ掛かりを得ていた作品なのですが、文量の削減に苦慮してモキュメンタリー的な部分はバッサリと半分消しました。
書き上がった全量では「近畿地方のある場所について」「ブレアウィッチ・プロジェクト」のような市街地での取材と、校門に至るまでに森で迷う描写などがあり、死に役の探索者ももう一名いて、だいぶ冗長でした。
そして蓋を開けてみればこの本でもモキュメンタリータイプの作品が多く、カブりの観点では、それを削ったのは怪我の功名となっています。何が悲しくて他の巧い作家様たちと同じ土俵に乗らなきゃならんのだ少しは想像しろというところだが、まあ何を書くか本当に困ったんですよね…。
削った結果よくわからんくなった部分も多いのですが、前半を大量に消し飛ばした理由自体もモキュメンタリータイプは被るだろうからと思ったところも無きにしもあらずです。そんなわけで、まあ結果としてよかったかなと思っています。
しかしそれはともかくとして、文量コントロールが下手くそなのは昔から全然変わらない。なんとかしたい。
ネタとして。以前、この本にも参加している風兎さんにつれられて茨城県を巡遊したとき、守谷駅と八坂神社が同時に目に入ってきたのでいつかこの2つを隣接させて話を作りたいなと思っていたので盛り込みました。
全体の感想
流石に、秘封、早苗率が高かったなあ!
しかしホラーというのは実に読むのが疲れる。
私自身がホラーが苦手だというのもあるのだが、ギャグの「ここは笑うところ」よりも「ここは怖がるところ」というのが分かりづらいから、と思っている。
ギャグの光に照らされてディティールのわかりやすい見せ場と違い、ホラーの見せ場というのは画面の暗い文章の中でともすれば周囲に埋没したままで人を食う。食われた方(私)は気付かない、なんてこともある。
尤も、これは怖い、と認識するのに「人の心の理解」「特定の経験」「高度な理路の読解」「何らかの造詣」が必要なこともあり、自分にその素養がなく通り過ぎてしまうこともしばしばで、しかもテレビの笑いSEのような「ここだよ」を教えてくれるような仕組みもない。
なので、勘所を理解しそこねぬようスイッチをonにしたまま読まなければ(読んだとしても)本当に「あれ、今死んだ?ぼく死んだ?いつ?」というFPS初心者みたいなことになる。
ジャンプスケアで済むような話であれば読む方にとっても早いのだが、こうした合同誌に参加する人にそんな安易なホラーで終わらせる人はいないだろうと思って読んだら、やっぱりいなかった。疲れた。
本当はこの感想を書くのもまあまあ怖かったです。
みんな話がうますぎるし、文章もうますぎる。この中に自分の作品が混じってることが一番怖いよな。